inactive circular touch

2012
ラムダプリント
W.66×H.50cm



自らの性器に触るというマスタベーションの行為には、込み入った体性感覚の協応がおこっている。本作"inactive circular touch"(不活発なサーキュラー・タッチ)では、腕の前腕に陰茎の先端が触れているという通常のマスタベーションでは用をなさない状態を写し出し、逆説的にその様態を表現する。「触れる」と「触れられる」が同時に起こる(「ダブル・タッチ」)の現象から、不変な自己をとらえよう試みる作品である。

体性感覚には、皮膚感覚と、もう一つ、深部感覚というものがある。なかでも固有感覚とよばれる空間上での身体の位置覚の把握は、自己存在の恒常的な感じ取りには欠かすことができない。この固有感覚の受容器は、おもに関節や筋、腱にあり、身体の動きをともなってその空間上の位置覚を感知するものだ。人は、この固有感覚によって身体の位置や運動をみずから感じ取っているのである。
しかし、男性器はそうではない。陰茎には根元で恥骨とつながる靭帯以外には関節も腱もなく、筋もほぼ無いため、こうした位置覚が乏しい。この陰茎の位置覚の乏しい不在さを、マスタベーションのような自己接触は、手の触覚によって補完していると考えられる。
手で陰茎に触れる。このとき、陰茎の表面の皮膚感覚と手の深部感覚の相補的な協応がおこっているのではないか。手は、陰茎の表面をなぞりながら運動し、関節や筋では位置覚を感じ取っている。この際、位置覚を感知しているのは手の方であって、陰茎ではない。陰茎はあくまで、手の固有感覚によって、その位置覚を仮想しているということなのだ。普段は何の違和感もなく、陰茎も位置覚を持っているように錯覚するのは、動いている手の補完によるものなのだと私は考える。こうした異なる器官の皮膚感覚と深部感覚とが協応して、一つの固有な自己の感取を構成するような事態が発現している。そうした協応が逆に不活発なのが、本作"inactive circular touch"のような状態なのである。
"inactive circular touch"では、腕の前腕に陰茎の先端が触れている。腕の前腕表面は判別性感覚が鈍く、細やかな質感などを利き分けることができない。いっぽう陰茎は、その先端に感覚受容器があつまっており、皮膚感覚は敏感だが、深部感覚に乏しく、位置覚がいちじるしく弱い。この両者が相互に触れてもサーキュラー・タッチは不活発なのだ。
陰茎の位置覚のともなわない皮膚感覚は、さながら空中にポッカリと浮き上がった逆さまの宙吊り状態であり、また、腕の前腕の方といえば、自らの身体でありながら何か異物が触れているようにすら感じられるのである。

inactive circular touch

2012
Lambda print
W.66×H.50cm